「問題、課題」そして、「あるべき姿、ありたい姿」
- 価値創造_室橋雅彦
- 8月30日
- 読了時間: 3分
御社の様々な場面で、口にする
「問題」と「課題」、「あるべき姿」と「ありたい姿」
どのような意識を持って使い分けていますか?
同じ意味を持つ言葉として同じような意識で使っていますか?
それとも、無意識に使ってしまっていますか?
問題と課題について、辞書では、あまり明確に区別はされていないようです
課題とは、①仕事や勉強の問題や課題 ②解決しなければならない問題
問題とは、①答えさせるための問い。解答を必要とする問い
強いて違いを明確に定義しようとすると、
問題は正解のある問い、正解を求められる問いであると
定義することになるのではないでしょうか
課題を考えてみると
「課題」と対句のように使われる言葉に、
課題の「整理」や課題の「抽出」があります
何故、課題の抽出、課題の整理といったように、
「課題」は抽出され、整理されなければならないのでしょうか?
ここに「問題」と「課題」の違いを考える重要なポイントがあると考えています
それはつまり、
「問題」は今目の前に見えていることで、
「課題」はまだ目の前には現れていないことだからではないでしょうか
日常で口にする言葉は、重要だと考えています
何故なら、意識・無意識に関わらず、
未来を作り出すのは、
未来を起点にした言葉によって、
今を考えることだと考えているからです
この見方で、「課題」と「問題」を定義することも可能かもしれません
「課題」とは、未来から現状を見た時に見えてくる解決すべき事柄
「問題」とは、現在から現状を見た時に見えてくる解決すべき事柄
目の前にある事柄を「問題」と定義してその対応を考えようとする時に、
敢えて「課題」と言い換えて対応を考えてみるのはどうでしょうか
その時にどんな感覚が生まれるでしょうか
「あるべき姿」も、「ありたい姿」も、
一般的に、未来の姿を表現しているように理解されて、
同じ意味を持つ言葉として使われているようです
でも、「〜べき」と「〜たい」では、
主体と主体の持つ目線が異なると考えています
つまり、他者の意向(命令)が生み出すことが、
「〜べき」、「〜べきだ」、「〜べきである」になると考えます
義務づける意味合いを強く表す表現になっていると言えます。
他者の意向とはなんでしょうか?
誰が、御社の「あるべき姿」を決めているのでしょうか?
一方で、企業自身の意向(希望・願望)から生み出されることが、
「〜たい」と言う表現になると考えます。
別の見方をすれば、
「あるべき姿」から見えてくるのは、「問題」
「ありたい姿」から見えてくるのは、「課題」
さらに加えて言えば、
「ありたい姿」は、自分ごととして向き合えるのに、
「あるべき姿」は、遠くにあって少し余所余所しく感じてしまいます。
これらを踏まえて、
あなたは今から、どのような意識を持って、言葉を選んで使っていきますか?
「人は、言葉を選んで、使うことで、未来を創り出す」ということを意識して、
日頃から言葉選びに氣を向けていただく切っ掛けになれば、幸いです。
ミームテック技術士事務所は、
CVDDを持ちいた様々な支援、研修の中での対話を通して、
ふだん使う言葉に注目するアプローチを取り入れて
参加者の意識を変えることにも取り組んでいます。
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